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歴代教授年表

初代 山崎平四郎
      旧姓:中川

明治17年6月〜明治20年11月8日在任
明治17年 東京帝国大学医科大学卒
石川県甲種医学校で眼科を教授した。のち海軍大軍医に任ぜられた。


2代 有松戒三
      

明治21年6月〜明治21年4月在任
明治20年 東京帝国大学医科大学卒
生理学、外科学、病理学、眼科学兼任であった。


3代 高安右人 みきと
旧姓:武岡
1860〜1936年 
明治21年〜大正13年在任
 

明治21年4月〜大正13年3月在任
 
明治20年7月 東京帝国大学医科大学卒
明治21年4月 第四高等中学校教諭兼金沢病院眼科医長
明治27年9月 金沢病院長兼眼科医長
明治32年9月 ドイツ留学
明治34年10月 金沢医学専門学校長兼眼科学教授
明治36年2月 金沢病院医長
明治36年5月 金沢病院長
大正4年4月  第19回日本眼科学会総会を開催
大正10年2月 第1回金沢眼科集談会を開催
大正12年4月 金沢医科大学長兼眼科学教授
大正13年3月 退官、名誉教授
昭和13年11月 逝去 享年78歳
 
明治41年第12回日本眼科学会総会において、「奇異なる網膜血管の変状に就いて」を発表。のちに「高安病」と命名され、世界的に有名となった。
 

4代 山田邦彦
1888〜1927年
大正13年〜昭和2年在任
 

大正13年3月〜昭和2年7月在任
大正5年 東京帝国大学医科大学卒
大正8年6月 金沢医学専門学校講師
大正10年7月 金沢医学専門学校助教授 
    同年より2年間ドイツ・フランス・アメリカ合衆国へ留学
大正13年3月 金沢医科大学(現金沢大学)教授に就任
昭和2年7月 逝去 享年39歳
 
39歳の若さで死すも、「眼玉は小ナレドモ眼科学ハ小ニ非ズ」と一喝した逸話がある。
 


5代 中島 實みのる
1893〜1951年    
昭和2年〜昭和15年在任  

昭和2年10月27日〜昭和15年4月1日在任
 
大正8年 東京帝国大学医学部卒
昭和2年10月 金沢医科大学教授に就任
昭和5年3月 ドイツへ留学
昭和11年 『眼科臨床検査法」が学生用として出版された。
昭和15年4月 名古屋帝国大学教授に転任
昭和25年 東京大学教授に就任
昭和26年2月 逝去 享年57歳。
 
網膜の組織呼吸の研究から眼生化学研究に応用した。
教室訓「学ハ人ニヨリテ貴シ、教室ハ道場ナリ、研究ト修養トニ努ムベク偸安ヲ許サズ」を残し、その書は今も医局に掲げてある。
 


6代 倉知與志
1905〜1982年
昭和17年〜昭和46年在任
  

昭和17年10月27日〜昭和46年3月31日在任
 
昭和7年 旧金沢医科大学(現金沢大学)卒
昭和17年10月 金沢医科大学眼科学教授
 網膜を中心として眼の新陳代謝の研究を進めた
昭和24年5月 第53回日本眼科学会総会を金沢にて開催
昭和24年11月 教室最初の角膜移植を執刀
昭和29年1月〜昭和33年4月 金沢大学医学部附属病院長
昭和38年4月〜昭和42年3月 金沢大学医学部長
昭和38年4月 第16回日本医学会総会にて特別講演「眼の新陳代謝」
昭和40年11月 日本学術会議会員に選出
昭和46年3月 定年退職
昭和47年4月〜昭和52年11月 金沢医科大学眼科教授および同医学部長
昭和57年4月 逝去 享年76歳
 
網膜を中心として眼の新陳代謝の研究を進めた。
昭和39年、ライオンズクラブの協力を得、金沢眼球銀行(現石川県アイバンク)を立ち上げた。
 
〈受賞歴〉
昭和37年 第16回金沢市文化賞
昭和41年 第19回中日文化賞
 


7代 米村大蔵
1923〜1992
昭和46年〜昭和63年在任
     

昭和46年7月1日〜昭和63年3月31日在任
 
昭和21年9月 金沢医科大学(現金沢大学)卒
昭和26年3月 金沢医科大学講師
昭和27年9月 金沢医科大学助教授
昭和36年6月 第1回国際臨床網膜電図学会(ストックホルム)にて発表
昭和37年7月 第66回日本眼科学会総会にて宿題報告を担当
昭和37年9月 ニューヨークに留学
昭和46年7月 金沢大学医学部教授
昭和52年4月 日本眼科学会総会の特別講演を担当
昭和53年5月 国際臨床視覚生理学会にて特別講演を担当
昭和55年4月〜昭和56年3月 金沢大学医学部附属病院長
昭和60年   著書「臨床網膜電図学」を刊行
昭和63年3月 第92回日本眼科学会会長
平成4年2月26日 逝去 享年69歳
 
臨床網膜電図学の創始者の一人として知られ、網膜電図の律動様小波(oscillatory potential)の命名者である。律動様小波の臨床的重要性の発見は内外で有名である。 この発見を契機に臨床網膜電図学では律動様小波の誘起に適するキセノン閃光刺激法が定着した。先天性色覚異常の他覚的診断法を創案し、網膜色素上皮由来の3種の新電位を発見するなど多くの業績を挙げた。
 
〈受賞歴〉
昭和57年11月 金沢市文化賞
平成4年2月  正四位勲三等旭日中綬章
 


8代 河﨑一夫
1936年〜
昭和63年〜平成14年在任
      

昭和63年6月1日〜平成14年3月31日在任
 
昭和37年 金沢大学医学部卒
昭和42年 金沢大学大学院医学研究科修了
 大学院時代に早期視細胞電位を人眼で初めて記録することに成功し、この電位の臨床応用を拓いた研究によって学位を取得し、この仕事は欧米の教科書にも付図とともに引用されている。
昭和43年   米国コーネル大学に2年半留学
昭和47年   金沢大学医学部助教授
昭和63年6月  金沢大学医学部教授
 この間一貫して臨床視覚電気生理学の研究に没頭し、眼科臨床に役立つ新しい電気現象を次々と発見して、前任者の米村大蔵教授との名コンビによってこの領域において金沢大学眼科は常に世界の指導的位置を保ってきた。昭和60年には米村大蔵教授と共著で単行本「臨床網膜電図学」を著した。
平成2年    国際臨床視覚電気生理学会特別講演
         国際眼中毒学会特別講演
平成6年    日本眼感染症学会特別講演
平成6年    国際眼中毒学会特別講演
平成6年    第42回日本臨床視覚電気生理学会会長
平成10年    第102回日本眼科学会の宿題報告担当
平成12年〜14年 金沢大学医学部附属病院院長
平成13年    日本臨床視覚電気生理学会理事長
平成14年3月 定年退職、金沢大学名誉教授
 
〈受賞歴〉
平成9年   北國文化賞
平成15年 日本眼科学会特別貢献賞
平成19年 日本眼科学会評議員会賞
 
臨床視覚電気生理学の研究に重きをおいた。前教授とともに単行本「臨床網膜電図学」を著した。現金沢大学名誉教授。 


9代 杉山和久
1958年〜
平成14年〜令和6年在任
      

平成14年12月1日〜令和6年3月31日在任
 
昭和59年3月 金沢大学医学部卒
昭和59年4月 岐阜大学医学部眼科学教室入局
 昭和60年より赴任した緑内障の世界的指導者である北澤克明教授に指示し、以後教授定年までの15年間指導を受ける
平成2年3月〜4年2月 米国ポートランドOregon Health Sciences University眼科およびDevers Eye Institute研究員
 緑内障の世界的権威者Van Buskirk教授に指示し、視神経乳頭の3次元的微小血管構築と点眼薬の乳頭血管系への影響を解明した
平成4年7月 YAGレーザー虹彩照射後の眼圧上昇の発症機序の解明と予防法を研究誌医学博士の学位を授与される
平成8年9月 第9回須田賞(日本緑内障学会学術賞)
平成12年12月 岐阜大学医学部眼科助教授
平成14年12月 金沢大学眼科教授
平成18年9月 日本眼薬理学会で特別講演
平成23年5月 日本眼科学会評議員会指名講演(旧宿題報告)
平成24年9月 第23回日本緑内障学会会長
平成25年9月 第24回日本緑内障学会須田記念講演
平成27年4月 第4回日本視野学会会長
平成30年5月 第23回国際視野画像学会会長
平成30年10月 第72回日本臨床眼科学会特別講演
令和元年5月 第8回日本視野画像学会JIPSレクチャー(特別講演)
令和2年4月〜令和6年3月 金沢大学医薬保健研究域・学域 医学系長・医学類長
令和2年11月 第74回日本臨床眼科学会会長
令和3年11月 第41回日本眼薬理学会会長
令和6年3月 定年退職 名誉教授
 
主な研究テーマは、緑内障の基礎と臨床であり、金沢大学眼科を緑内障研究・臨床では全国で指折りの教室の育て上げたと評価されている。在任中の博士取得者は46名と、多くの眼科医を育て、北陸の眼科医療の発展に寄与した。退任後も緑内障コンサルタントとして、北陸各地で緑内障診療を行っている。
 
〈受賞歴〉
平成4年5月 平成3年度日本眼科学会学術奨励賞
平成8年9月 第9回須田賞(日本緑内y総学会学術賞)
平成10年5月 平成9年度岐阜医学学術奨励賞
平成23年5月 日本眼科学会評議員会賞
平成28年3月 Asia Pacific Academy of Ophthalmology Achievement Awards
平成30年10月 American Academy of Ophthalmology Achievement Awards
令和3年6月 World Glaucoma Association the Special Recognition Award
令和5年11月 北國文化賞