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教室の祖 高安右人先生と高安病

 現在123巻を誇る十全医学会雑誌には、文字通り創刊以来123年の歴史がある。その長い年月の間に多くの論文が掲載されてきた。その中の一つに高安右人先生の論文がある。今から丁度102年前の明治41年(1908年)4月に福岡市にて開催された第12回日本眼科学会総会で、当時金沢医学専門学校(現金沢大学医学部)眼科教授の高安右人が「奇異なる網膜中心血管の変化の1例」を報告した。これが、後に「高安病」と呼ばれる眼を含めた全身疾患の発端となった。高安病発見100年の記念すべき2008年4月の第112回日本眼科学会総会で、「高安病シンポジウム」を著者らが企画した。近年、眼科領域では診ることが稀になった高安病を、会員の諸先生方とともに勉強してこの病気への理解を深めるとともに、たった1例の報告が新疾患の発見につながった症例報告の重要性を再認識した。

 高安右人は明治20年東京帝国医科大学を卒業、翌年に第四高等中学校医学部眼科医長として金沢に赴任した。同27年第四高等学校医学部付属病院長、同34年に2年間のドイツ留学から帰国し金沢医学専門学校長、大正12年に金沢医科大学(旧制)の初代学長に就任した。高安が日本眼科学会総会で高安病の1例を報告した際、大西は「同様な眼底変化を呈し、同時に両側のとう骨動脈の脈拍消失を併合した1例」を追加した。これが1908年の日本眼科学会雑誌に抄録として掲載されている。高安の原著論文は同年に金沢医学専門学校の十全医学会雑誌に掲載された。高安、大西の報告そして自験例をもとに大正17年東大眼科の中島實(後に金沢大学眼科教授)は新しい疾患単位として「高安病」を提言した。その後わが国の眼科医によって多数の症例報告がなされた。上半身の虚血症状を中心とした検索が行われ1948年清水、佐野により「脈なし病」と命名された。その後高安病の病変は、大動脈弓とその主要分枝にとどまらず腹部大動脈、腎動脈など広い範囲の血管に及ぶことが判明した。高安病の眼症状は、大動脈弓、頚動脈の狭窄、閉塞による血行不全による慢性の網膜・脈絡膜の血液循環不全によって生ずると考えられる。

 高安病は我々医師にとってまさに「温故知新」ではないかと思われる。我々が高安病から学んだことは、眼科分野では網膜・脈絡膜の虚血に対する網膜血管の反応形式(血管拡張、透過性亢進、毛細血管瘤形成、血管閉塞、動静脈吻合、血管新生)、病態生理をどう理解するかという、現代でも通用する問題であった。そして、たった1例を丹念に観察し記載するという、臨床医学の原点であった。高安病の眼底病変を理解することで糖尿病網膜症、網膜中心静脈閉塞症など閉塞性血管病変の病態生理の理解に役立つことを再認識した。早期発見と内科的、外科的治療の発達によって、眼病変をもつ高安病患者を診ることは稀有となったが、高安病は「眼底低血圧、慢性虚血がもたらす網膜血管の反応形式」という問題の提起とその解答を我々に与えてくれたのである。

 さて、日本眼科学会総会の日本語の1例報告が、世界に通用する高安病の発端であった。時代背景はかなり異なるが、1例1例の症例報告の積み重ねが臨床医学発展の原動力のはずである。何でもかんでも症例報告はいただけないが、症例報告を軽視する姿勢はいかがなものかと思う。多数例での統計処理は勿論重要であるが、その多数例にもかなりのバリエーションがある。典型例を著しく抜け出した症例こそ、その疾患の病態解明の鍵があるかもしれない。本当に良い論文は、日本人には日本語で、世界に対しては英語で発表されるほうがわかりやすい。十全医学会雑誌のような一部の日本語雑誌と英文雑誌が版権を共有するのは難しいのであろうか?英文雑誌の価値ある論文は日本語で日本の医学雑誌に載せるシステムがあっても良いと思う。私は日本人医師のための十全医学会雑誌が発展することを心より祈念している。
 

高安右人先生プロフィール

1860年:佐賀県に生まれる
明治20年:東京帝国医科大学卒業
明治21年:第四高等中学校医学部眼科医長
明治27年:第四高等学校医学部付属病院長
明治32〜34年:ドイツ留学
明治34年金沢医学専門学校長
大正12年に金沢医科大学(旧制)初代学長
大正13年退官、金沢市内で開業
昭和13年、78歳で逝去
 

医学部玄関前の高安先生の胸像

高安先生のお墓(宝円寺)

 
高安病の症例報告
・明治41年(1908年)4月
・第12回日本眼科学会総会の第13席
・奇異なる網膜中心血管の変化の1例
・席上、福岡医科大学の大西克知は「同様な眼底変化を呈し、同時に両側の橈骨動脈の脈拍消失を併合した1例」を追加
・原著は十全会雑誌50号(明治41年6月)

 
奇異ナル網膜中心血管之変状ニ就テ

■初診日:明治38年5月8日
■症例:22歳女性(既婚) 
■現病歴:昨年9月初旬から徐々に両眼の視力低下を自覚。時折、結膜の充血もみられていた。
本年2月、加療を受けいったん視力は回復するも、3月中頃から再び右眼の視力が徐々に低下し、10日ほど遅れて左眼も見にくくなってきた。
■内科的・婦人科的疾患の罹患はなかった 。
■現症:前眼部には顕著な異常所見を認めず。瞳孔は、わずかに散瞳しており対光反応はやや鈍磨になっていた。
■右眼は中間透光体に異常所見はなかったが、網膜血管に著しい異常を認めた。
視神経乳頭を隔てること2ないし3mmの箇所で網膜血管が分枝、互いに吻合し乳頭を囲むように輪状の形態を呈していた(花冠状吻合)。
 

・血管吻合部より放射状に血管が分枝
・遠位部で瘤状の膨大
・その末梢では徐々に狭細化、他の分枝と吻合し花冠状を呈したり、盲端として終末していたりと、形態は様々。
・血管吻合部は、時に血流が豊富にて膨大している場合、血流が僅かなために認識し難いほどに狭細化している場合もあった。
・乳頭付近では、一部の血管に硝子体への立ち上がりがみられ、乳頭は発赤調を呈しており近位には斑状出血もみられた。
・これら血管の異常は主として動脈にみられるが、静脈と吻合しており静脈血の動脈内流入もみられた。
・左眼底所見は右眼底とほぼ類似していたが、血管数が多く乳頭近位では出血はより重篤となっており、凝結か血管拡張かの判別も困難になっていた。
・視力:両眼とも0,5mt/F(50cm眼前指数弁)
・患者は11日より入院加療を受けることとなる。
・出血性網膜炎と診断し、臭化カリウムやヨウ化カリウムの内服を生理食塩水に溶解し結膜下注射したところ、眼底所見に改善はみられなかったものの視力は若干改善した。
・9/3再入院し左眼白内障手術を受けるが視力は改善せず、3週間の入院の後に退院となる。
・その後、再来されなくなり2年半後の明治41年2/25に来院されるも、左眼は既に網膜剥離に伴う眼球萎縮を来し眼球陥凹の外観を呈していた。右眼は依然として瞳孔散大しており、水晶体は乳化混濁しやや膨留していた。視力は両眼ともに光覚弁なし。おそらくは右眼底にも網膜剥離が存在し眼球萎縮にいたっているものと考えられ、有効な治療法がない旨を患者には伝えた。
 
概念と病名の変遷(1) 
I. 高安病、高安・大西病      
1908年 高安右人は症例報告、大西が追加
1921年 中島實が高安病を提唱
 1)若年女性の両眼に発症
 2)乳頭周囲の動静脈吻合と網膜血管の瘤状変化
 3)視力が著しく低下し、白内障を合併する。
 4)橈骨動脈触知不可
 
概念と病名の変遷(2)
II. 脈なし病  清水・佐野 1948年 
 Aortic arch syndrome  Frovig 1964年
 大動脈弓部動脈狭塞症候群  広瀬 1960年
本疾患の本態は大動脈弓部炎症による血管内腔の狭窄・閉塞に起因すると説く。
 1)上肢の脈拍触地不可
 2)特有の眼症状
 3)頸動脈洞反射亢進
1951年、本疾患がpulseless diseaseで英訳され報告される。
以後、外国からも症例が報告されるようになった。
 
概念と病名の変遷(3)
III. 閉塞性凝血性大動脈症  前川・石川 1963年
 閉塞性増殖性幹動脈炎  那須 1963年
 異型動脈縮窄症  稲田 1961年
 大動脈炎症候群  上田 1965年 
上肢のほか下肢の脈拍触地不可が診られ、大動脈弓部以外の動脈系にも炎症病態が診られ得る。 1965年、Riehlらが剖検例の病理・免疫学的検査から、大動脈炎症候群が自己免疫疾患であるという概念を説く。

 
疫学
■厚生労働省の特定疾患に認定されており、現在約5000人が登録。新規発症数は減少傾向。
■男女比は、約1:9。
■診断時平均年齢は26.7歳(4~61歳)(2001年Chun)。
■左側に強い(1999年、鳥山)。
■人種差がある アジア、中近東での症例が多い
 
病因に関する研究
■A群Streptococcusとの関連(1970年斉藤)。
■エストロゲンとの関連(1972年沼野)。
■高安病患者の血清中に、病変部の動脈構成成分と反応する抗体を証明(1982年Sano)。
■HLA-B52、39との有意な相関(1996年Mehra等)。
■T細胞が主体をなす細胞性免疫が関与(1996年、Seko等)。
 
高安病による眼病変発症のメカニズム
■慢性的な眼虚血状態
頸動脈の狭窄により、眼動脈の血流量が慢性的に減少する場合。ルベオーシスを呈し、予後不良。
■急性のもの
頚動脈から眼動脈の狭窄部で生じた塞栓が遊離した場合。急性に発症するが、一般的に非進行性で予後は良好。
 
病期分類(1)
柳田の分類(1950年)
第1期(血管拡張期):網膜低血圧の反応で血管拡張がみられる。
網膜血管拡張→網膜毛細血管拡張(数珠状拡張)→網膜血管床閉塞→網膜虚血性変化(軟性白斑)
第2期(吻合期):毛細血管を経由しての脈吻合と、動静脈交叉部で直接内腔同士が吻合。視神経乳頭周囲を全周または一部を幾重にも取り囲むような血管輪としてみられる。
高安病原著(1908年)記述の花冠状吻合に相当
第3期(合併症期):眼内低血圧進行に伴う、他の眼球の構成成分への影響。白内障。血管新生緑内障。増殖性硝子体網膜症
 
病期分類(2)
宇山の分類(1968年)
第1期(血管拡張期):網膜血静脈管拡張、口径不同がみられ、血管の終末枝までよく認めるようになる。
第2期(網膜小血管瘤期):拡張した網膜血管細枝に、ぶどうの房状や数珠状の小血管瘤がみられる。
第3期( 吻合期):動静脈血管吻合や血管新生がみられる
第4期(合併症期):他の眼球の構成成分への影響白内障。血管新生緑内障。増殖性硝子体網膜症
 
 

 
高安病の診断基準(米国リウマチ学会) 
■次の6項目のうち3項目以上を満たすもの。
 1)発症が40歳以下
 2)四肢末梢の跛行
 3)少なくとも片側の橈骨動脈触知低下
 4)上肢収縮期血圧の左右差が10mmHg以上
 5)大動脈弓部または少なくとも片側の鎖骨下動脈の血管雑音
 6)血管造影にて大動脈弓またはその主幹分岐動脈または四肢の近位動脈の狭窄または閉塞
■眼病変が存在しない高安病のほうが多い (1998年Kiyosawa、2001年Chun)。
■早期診断と内科的治療の進歩により、重症例が減ったことによる。
 
高安病の眼合併症
1.虹彩ルベオーシス、血管新生緑内障
2.硝子体出血、網膜剥離
3.白内障
4.前部虚血性視神経症
5.網膜中心動脈閉塞症
6.その他 フォークト・小柳・原田病、強膜炎、角膜ぶどう膜炎、黄斑前膜

 
虹彩ルベオーシスと血管新生緑内障
■網膜無血管野に対する網膜光凝固で虹彩ルベオーシスは沈静化(1991年、山岡)。
■虹彩ルベオーシスを認める高安病例は多数報告されているが、血管新生緑内障が発症することは稀である(1995年、Karwatowski)。
■網膜無血管野に対して、汎網膜光凝固術を施行。虹彩ルベオーシスは不変であるものの血管新生緑内障の発症はみられず(1997年、岸)。

 
前部虚血性視神経症(AION)
■高安病にAIONが合併することは稀であり、これまでに4例報告されているのみ(1983年Leonard等、1993年Lewis等、Kimura等、1997年Schmidt等)。
■前者3例は、高安病に特徴的な眼底変化を伴っていたが、 Schmidt等の報告は、高安病網膜症を認めないにもかかわらず両眼に発症した症例。

 
フルオレセイン蛍光眼底造影(FA)
■腕網膜循環時間の遅延、周辺部網膜動脈瘤、網膜毛細血管拡張、毛細血管瘤、無還流領域、動静脈吻合、Sludge現象など
■動静脈吻合の形成過程に関する報告(1991年得居等)。
 ①優先血行路を介するもの:動静脈間の圧格差の低下が関係
 ②動静脈交叉部での吻合によるもの:血管壁の脆弱化が関係

■高安病患者FAG施行26眼  (1998年、Kiyosawa)
  動静脈吻合:19.2%
  毛細血管瘤:34.6%
  黄斑部周囲蛍光漏出:19.2%
  網膜新生血管:3.8%
  正常所見:42.3%
■高安網膜症眼21眼中  (2001年Chun)
  21眼(100%)で腕網膜時間延長 (平均22.7±8.9秒)
  動静脈循環時間遅延:14眼(66.7%)
  動静脈吻合:12眼(57.1%)

 
インドシアニングリーン蛍光眼底造影(IA)
■高安病患者5例5眼のICGを用いた走査型レーザー顕微鏡(SLO)所見を報告。脈絡膜循環遅延、脈絡膜動脈の拡張、脈絡膜毛細血管板の低蛍光及び充填欠損、脈絡膜静脈の狭窄(1995年に須藤ら)
■脈絡膜静脈の狭細化、脈絡膜毛細血管板の閉塞を示す斑状のdark area、渦静脈の膨大部が不明瞭化している所見を報告(1997年、岸ら)

 
カラードップラーイメージ(CDI)
■両側AIONを合併した高安病患者のCDI所見を報告。両側網膜中心動脈の血流低下を報告(1997年、Schmidt) 。
■高安病眼での眼動脈血流低下を報告(1998年、Escano)。
■重症眼に優位な眼動脈及び網膜中心動脈血流低下を報告。眼動脈は正常の約30%に、網膜中心動脈は約60%に低下(2002年、佐藤)。

 
網膜電図(Electroretinogram, ERG)
■頭位及び体位変換によりERGの反応が異なる2例を報告(1991年Hayasaka)。
 2例とも律動小波が消失しており、仰臥位では正常所見を示したa波及びb波が、頭位変換により減弱した。それらの変化は、頭位変換による可逆的な網脈絡膜の循環障害に由来するものと考えられた。
■ERG施行24眼のうち、律動小波低下を29.1%で認めた(1998年、Kiyosawa)。
■頸動脈再建術後3ヵ月で、術前に消失していた律動小波が回復した(2005年、Kinoshita)。

 
治療
■虹彩ルベオーシスに対するPRPの有効性(1991年山岡、1997年岸)。
■ステロイド及び免疫抑制剤内服投与の有効性(2004年Osborne)。
■頸動脈再建術の有効性の報告(2002年Slusher、 2005年Kinoshita)

 
外科的治療による眼所見の改善
■両側頸動脈再建術後に自覚的及び他覚的所見が改善(2002年、Slusher)。
 一過性黒内症発作の消失
 視力の改善(右20/30→20/25、左20/60→20/30)
 乳頭近傍血管新生や静脈拡張の消失
 FAで腕網膜時間の正常化(11秒)、毛細血管拡張の消失
■頸動脈バイパスグラフト術施行例の報告(2005年Kinoshita)
 FAで腕網膜時間改善(111秒→13秒)、網膜細動脈瘤の減少
 CDIで収縮期眼動脈血流速の改善(正常の15%以下→55%)
 Laser Speckle Phenomenon で網膜動脈、脈絡膜、視神経乳頭血流速度の増加
 (それぞれ術前の2倍、1.5倍、3倍)
 ERGで律動小波の回復